“ミスター赤ヘル”山本浩二の現役時代の成績って?監督も務めたの?

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今回は広島の英雄、“ミスター赤ヘル”と呼ばれる山本浩二について紹介します。

彼がミスター赤ヘルと地元から愛される理由には、一時代を築いた彼の大選手ぶりが関係していますよ。

 

 

プロフィール

基本情報

名前:山本浩二(やまもと こうじ)

生年月日:1946年10月25日(72歳)

出身: 広島県広島市佐伯区

身長:183cm

体重:82kg

選手情報

ポジション:外野手

投打:右投げ右打ち

選手期間:1969~1986

経歴(括弧内はチーム在籍年度)

広島東洋カープ (1969~1986)

広島東洋カープ(1989~1993、2001~2005)※監督として

獲得タイトル

首位打者:1回

本塁打王:4回

打点王:3回

最多出塁数:3回

ベストナイン:10回

ゴールデングラブ賞:10回

山本浩二の記録、成績

山本浩二の残した偉大な記録や成績を紹介しますよ。

球団の一時代を築いた大選手に相応しい成績を残しています!

カープ黄金期の立役者

2016年、広島カープは25年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

その後も2017年、2018年と3年連続のリーグ優勝。“カープ女子”が流行語に選ばれるなど、今が人気実力ともにカープの『第二期黄金時代』と言ってもいいのかもしれません。

いまから40年以上前、最初の「カープ黄金時代」を築いた中心メンバーの一人が山本浩二だったんです。

球団創設から25年目の1975年、かつて『お荷物球団』とまで言われたカープは、球団史上初のリーグ優勝を果たします。

山本は自身過去最高の成績を残し、首位打者やシーズンMVPを獲得する活躍を見せ、“鉄人”衣笠祥雄とのコンビは「YK砲」と呼ばれ恐れられた程でした。

明らかにこれまでのカープとは違う快進撃を続ける様子は「赤ヘル旋風」と呼ばれ、日本球界を盛り上げましたよ。

その後もカープは1979年、1980年、1984年、1986年とリーグ優勝を重ねカープ黄金時代を築きますが、その全ての優勝に山本は大きく貢献しています。

元祖お祭り男

オールスターゲームとは、セ・リーグとパ・リーグのファン投票で選抜された選手達で結成されたドリームチームによる対抗試合で、ペナントレースとは関係ないプロ野球界のお祭りのようなものです。

そんなオールスターに山本浩二は現役生活18年の間に14度も出場しています。

いかに彼の人気と実力が大きかったかがわかりますね。

しかし、本当に彼が凄いのはここからです。

彼は14度出場したオールスターで通算14本のホームラン(歴代1位)を放つという異常な勝負強さを発揮しているんです。

オールスターゲームに強い選手を「お祭り男」や「オールスター男」と呼びますが、山本浩二はその元祖なんですよ。

ミスター赤ヘル

広島生まれ広島育ち、現役時代はカープ一筋に生きてきた彼は「ミスター赤ヘル」と呼ばれ親しまれています。

もちろんただの地元が大好きな人ではないですよ。

現役時代は5度のリーグ優勝、監督としてもカープをリーグ優勝に導いています。

なんと2016年以前のカープの優勝には、全て山本浩二が関わっているんです。

その功績を称え、彼の付けていた背番号「8」は広島カープ史上初の永久欠番(その選手の背番号を、チーム内で永久に他の人が使わないようにすること)となっています。

面白いエピソード、名言

ここからは山本浩二にまつわる面白いエピソードや名言を紹介していきます。

彼の大選手ぶりがよくわかる逸話を集めていますよ。

ぎっくり腰なのに・・・

1975年8月7日、対ヤクルト戦前の練習中にぎっくり腰を発症した山本は試合の欠場を当時の古葉監督に申し出ます。

しかし、古葉監督はその申し出を拒否し、4番センターでスタメン出場させるのです。鬼ですね

当然、山本は腰の激痛でほとんどバットを振れませんでした。

試合も中盤に差し掛かり、カープが5-0でリードしていたため、山本は再度交代を申し出ますが監督は再び拒否します。鬼か

ところが、そこから試合はもつれ込み7回終了時点で6-7でヤクルトにリードを許す事態に陥ってしまったのです。

そして8回、ランナーを3塁に置いたチャンスで迎えるバッターは、なんとぎっくり腰の山本です。

万事休すかと思いきや、腰の痛みをこらえて力なくミートした打球は、なんとライトスタンドに飛び込み、試合を決める逆転ホームランとなったのです。

現代の応援スタイルの確立

野球に限らず、ファンがスポーツ選手やアーティストの名前を連呼する「〇〇コール」は、山本浩二が打席に立つ度に沸き起こる『浩二!浩二!』という声援にマスコミが「浩二コール」と名前を付けたのが始まりなんです。

さらに、従来は声での応援しか行われていなかったプロ野球で、初めて楽器による応援が行われたのも彼の打席からだと言われています。

カープ初優勝時の名言

1975年、カープが球団史上初のリーグ優勝を決めたシーズン、結果的に彼は自身初の首位打者、シーズンMVPを獲得します。

ただ、カープが優勝を飾った際、彼は

「タイトルも何もいらない。これだけで十分です。」

という言葉を残しています。

また、カープの優勝が決まった試合後には、人目もはばからず男泣きしたこともカープファンに感動を与えました。

まとめ

2016年以前のカープの優勝全てに関わるというレジェンドぶりから、今でも「ミスター赤ヘル」と愛されるのが納得できますね。

現在は解説者やタレントをしたり、第3回WBCでは日本代表監督も務めるなどマルチに活躍しています。

これからもミスター赤ヘルの活躍から目が離せませんね。