“バッティングの天才”落合博満の成績と伝説!当時の年俸や練習法は?

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今回は歴代最強打者の一人、落合博満の成績や伝説ついて紹介していきます。

三度の三冠王達成をはじめ、素晴らしい記録の数々を残していますよ。

 

 

プロフィール

基本データ

名前:落合博満(おちあい ひろみつ)

生年月日:1953年12月9日(65歳)

出身: 秋田県南秋田郡若美町

身長:178cm

体重:82kg

選手データ

ポジション:一塁手、二塁手、三塁手

投打:右投げ右打ち

最高年俸:3億8000万円

選手期間:1979~1998

経歴(括弧内はチーム在籍年度)

ロッテオリオンズ (1979~1986) 現千葉ロッテマリーンズ

中日ドラゴンズ (1987~1993)

読売ジャイアンツ (1994~1996)

日本ハムファイターズ (1997~1998)

中日ドラゴンズ (2004~2011)※監督として

獲得タイトル

首位打者:5回

本塁打王:5回

打点王:5回

最高出塁率:7回

ベストナイン:10回

現在何してる?

現役引退後は中日ドラゴンズの監督・GMを務めた後、野球解説者やタレントとして活躍しています。

落合博満の記録、成績

落合博満の残した偉大な記録や成績を紹介しますよ。

プロ野球史上最高の右打者と呼ばれるのも頷ける驚愕の成績を残していますよ。

史上初・三度の三冠王

1978年、当時としては非常に遅い25歳という年齢で、ロッテオリオンズからドラフト3位指名を受け入団します。

すると、1982年には28歳という史上最年少の若さで強打者にとって最大の栄誉である『三冠王』(1シーズンに首位打者、最多安打、本塁打王の全部を獲得すること)を達成してしまうのです。

しかし、そのシーズンの「打率.325、32本、99打点」という数字に『三冠王にしては物足りない数字だ』と言われてしまうんですね。
つまり、“落合以外の選手の成績が良くなかっただけで運よく三冠王になれた”ということです。
この評価に落合は奮起し1985年に「打率.367、52本、146打点」、1986年には「打率.360、50本、116打点」という誰もが認めざるを得ない、まさに文句なしの成績を残し2年連続の三冠王に輝きます。
サラッと三冠王を獲得したように書いてしまいましたが、長い日本のプロ野球史の中でも三冠王を達成した選手は◯人しかおらず、それがどんなに難しいことかがわかります。
以下が三冠王を達成した選手達です。括弧内は達成年
中島 治康(1938)
野村 克也(1965)
王 貞治(1973・1974)
落合 博満(1982・1985・1986)
ブーマー(1984)
バース(1985・1986)
松中 信彦(2004)
往年の名選手が名を連ねていますね。
この中で王貞治とバースが各2回ずつ、落合が3回という史上最多の達成回数です。
もちろんこの記録は現在も破られていません。

日本球界初の1億円プレーヤー

1986年、ロッテは落合1人と中日の選手4人という1対4のトレードを敢行しました。

全盛期だった落合をトレードに出した理由には監督との確執があったと言いますが、結果的に中日に移籍し日本人初の年俸1億円プレーヤーとなったんです。

その後も「プロ野球選手の年俸は安すぎる」という持論の元、日本人初の年俸調停を起こすなどして、1986年から1996年まで球界最高年俸選手であり続けたのです。

現役時の最高年俸は3億8000万円もの金額になり、これがプロ野球選手全体の年俸アップに繋がったことは間違いありません。

「オレ流」監督・落合博満

現役時代から独自の持論を貫き、その様子が「オレ流」と呼ばれていた落合ですが引退後は監督としてもその手腕を存分に発揮します。

2004年に中日の監督に就任した落合は、いきなり『ユニフォームの変更

、FA・トレードしない宣言』とオレ流でチームを変えていきました。

その結果、なんと就任1年目からリーグ優勝を果たしたんです。

その後も常勝軍団を作り上げ、監督だった8年間全てのシーズンでチームをAクラスに導きます。

4度のリーグ優勝、1度の日本一を達成し球史に残る名監督となりました。

面白いエピソード

ここからは落合博満にまつわる面白いエピソードを紹介していきます。

にわかには信じられない様な伝説を残していますよ。

驚異のバットコントロール

彼が球史に名を残す偉大なバッターになり得た一つの要因が、天才的なバットコントロールです。

その化け物じみたエピソードの数々がコチラです。

・室内練習場の天上のネットに引っかかったボールを落とそうと、選手達が別のボールを投げ四苦八苦していた。そこに現れた落合が打球で狙い撃ちにし次々と落とした。

・打撃練習中に、注意したにも関わらず入ってきたカメラマンに対し「じゃあそこ狙うから」と宣言すると、一発で打球を直撃させカメラをぶっ壊した。

・通算安打記録の節目である500本目、1000本目、1500本目、2000本目の全てをホームランで達成している。さらに、1000試合出場、2000試合出場の節目にもホームランを放っている。本人曰く「狙って打った」。

冗談かと思うくらい凄い逸話ばかりですが、彼が残した成績を考えれば納得せざるを得ませんね。

長嶋茂雄のファン

彼はプロ入り前から長嶋の熱烈なファンであり、それは長嶋の引退試合を球場まで観戦しに行ったほどだったんです。

1994年に長嶋監督率いる巨人へ移籍した際は、「長嶋さんを胴上げするために来ました」とコメントし、その言葉通り3年間で巨人を2度のリーグ優勝に導きました。

独特の練習法

彼はあるテレビ番組に出演した際、自らの練習法についてこう語っていました。

「練習でチェックしていたのはバットの角度と、打球の上がり具合。だから、速いボールは絶対打たない。ライナー性の打球だったらバットの角度が悪いから練習に時間がかかる」

その独特の練習法に本人も「絶対に真似しちゃいけない」と語っています。

まとめ

現役時代は三度の三冠王達成や最高年俸など数々の伝説を残してきた落合博満。

監督時代にも輝かしい成績を残し、中日を常勝軍団へと作り上げたのです。

現在は野球解説者やタレントとして活躍していますが、その独自の野球論を元に繰り出される発言から今後も目が離せませんね。