金田正一の成績と伝説!前人未到の400勝達成と現在。

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野球好きなら一度は聞いたことがあるであろう大投手“金田正一”。

前人未到の大記録を成し遂げた日本野球史に残る超人ですよ。

今回はそんな彼の偉業についてわかりやすくく紹介していきます。

 

 

プロフィール

基本情報

本名:金田正一(かねだ まさいち)

ニックネーム:カネやん

生年月日:1933年8月1日(84歳)

出身地:愛知県稲沢市

身長:184cm

体重:73kg

選手情報

ポジション:投手

最高年俸:3800万円

投球・打席:左投左打

選手期間:1950~1969

経歴(括弧内はチーム在籍年度)

国鉄スワローズ(1950-1964) 現ヤクルトスワローズ

読売ジャイアンツ(1965 - 1969)

獲得タイトル

最多勝:3回 

最優秀防御率:3回

沢村賞:3回 

ベストナイン:3回

いまなにしてる?

現在はフリーの評論家であり、千葉ロッテマリーンズの取締役でもあります。

実の弟に元プロ野球選手の金田高義・金田星雄・金田留広、甥っ子にも元プロ野球選手の金石昭人という野球一族ですよ。

金田正一が残した記録、功績

金田正一が残した前人未到の大記録とはいったいなんなのでしょうか。

おそらく今後破られることはないであろう偉業を達成していますよ。

通算400勝達成

1950年、高校3年で迎えた夏の甲子園は予選で敗退してしまいます。すると直後に高校を中退し、シーズン途中に国鉄スワローズ(現ヤクルト)に入団します。

この時点でもうなんか凄い雰囲気が出ています。

8月という遅いデビューだったにも関わらず一年目から8勝をマークし、まだ子供とも言える17歳という若さで即戦力としてプロの舞台で活躍しましたよ。

2年目からはエースとして国鉄を支え、1951年から移籍する1964年までなんと14年連続で20勝以上を達成しています。まさに怪物です。

国鉄で素晴らしい実績を残した金田は、1964年に現在のFAのような制度を利用してジャイアンツへと移籍します。

移籍後は年間20勝を挙げることはできませんでしたが、5年間で47勝という素晴らしい成績を残し、前人未到の通算400勝を達成しました。

これは、日本プロ野球歴代1位の記録で400勝達成は金田正一ただ1人となっています。

毎年下位争いを繰り広げる弱小国鉄で353勝、移籍後のジャイアンツで47勝、20年間で400勝、1年で20勝ペースというまさに驚異的な記録ですよ。

ちなみに、現役投手の通算勝利数ランキングは以下のようになっており、400勝という記録がいかに果てしなく偉大な記録かがわかります。

1位.石川雅規(158勝)

2位.杉内俊哉(142勝)

3位.内海哲也(129勝)

勝利数だけじゃない通算記録

勝利数歴代1位というのは有名ですが、彼はこの他にも数々の通算記録を打ち立てています。

・登板数944回(歴代3位)

・完投数365回(歴代1位)

・敗北数298回(歴代1位)

・投球回5562イニング(歴代1位)

・奪三振4419コ(歴代1位)

特筆すべきはその登板数です。現在歴代1位は岩瀬仁紀の969回ですが、抑え投手として活躍する彼の投球イニング数は963回です。

要するに1試合に1イニング程度しか投げていないということです。

それに比べて金田正一の投球回は5562回となっており、1試合に約6イニングペースという過酷なローテーションで登板しているということになります。

現代の抑え投手と同じくらいのペースで登板する凄まじい体の丈夫さがこれらの大記録を生んだといえるでしょう。

面白いエピソード、名言

ここからは金田正一の面白いエピソードや名言を紹介します。

有名な長嶋茂雄との初対決はどっちが勝ったのか!?

長島茂雄との初対戦

金田正一といえば400勝というイメージが強いですが、あの長嶋茂雄との初対決の話はファンの間で今でも語り継がれています。

立教大学で当時の本塁打記録を更新するなど、最大の注目を浴びながら読売ジャイアンツへと入団した長嶋選手。

まさにスーパールーキー、オープン戦でも本塁打を量産し放ちプロでもやれるという自身が付いた彼は、報道陣に「開幕戦でも金田投手を打ち崩せるかもしれません」と豪語します。

これにブチ切れた金田は「大学から入ったばかりのやつになめられてたまるか」と報道陣に対してコメントしています。プロ入り後の8年間で7年連続20勝を挙げ、通算182勝を誇る球界の大エースの逆鱗に触れてしまったのです。

そして、迎えた開幕戦で金田は長嶋から4打席連続三振を奪います。

バットにかすらせることさえさせない。バットに当たったのはたった1球のファールチップと完全に長嶋をねじ伏せました。

しかし、試合後のコメントでは「あの小僧、モノになるかもしれない。三振は全部フルスイングだった」と顔をこわばらせたのです。

そのの言葉通り、長嶋は1964年までの7年間で金田から打率.313、18本塁打を記録、金田から最も多くの本塁打を打った打者となるまでに大成しました。

スポーツ医学の先駆者

金田が活躍した50年も前の時代は現代のスポーツ医学からは程遠いものでした。

投手は一心不乱に投げつつけることが練習、試合の前の日も何百球と投げ込む始末。

しかし金田は利き腕である左腕を冷やさないように工夫し万全のケアを施していました。また、トレーニング法や食事管理にも気を配り、チームのキャンプには自らで食材を持ち込み、料理を行うなどの徹底振りです。
50年も前にこのような自己管理を行っていたからこそ、強い身体ができあがり数々の大記録を残していけたのかもしれませんね。

まとめ

金田正一が活躍した当時は現代の野球とは程遠く、エース格の投手は休息もなく登板していました。先発完投型の投手は中4日~6日の休息を取るという現代の野球では、おそらく永遠に金田が残した記録の数々を更新することはできないでしょう。

これからも彼の記録は、何十年何百年と日本の野球史で輝き続けることでしょう。