大林素子の現役ってどうだったの?世界屈指のサウスポー?現在は?

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今ではタレントとしておなじみの元バレーボール選手「大林素子」ですが、彼女の現役時代の活躍を知っていますか?

世界屈指のサウスポーエースとして全日本の中心選手として活躍していますよ。

そんな彼女の功績をわかりやすく解説します。

 

 

プロフィール

基本情報

本名:大林素子(おおばやし もとこ)

生年月日:1967年6月15日(53歳)

出身地:東京都練馬区

身長:184cm

選手情報

ポジション:ライト

利き手:左

大林素子が残した記録、功績

大林素子が残した偉大な功績を紹介します。

国際大会での活躍はもちろん、後の女子バレー選手たちの道しるべとなりました。

日本人女子初のプロ選手

1995年1月、プロ契約を巡り吉原知子と共に当時所属していたチーム・日立を解雇されてしまいます。

しかし、持ち前の高身長とサウスポーを買われイタリアプロバレーボールのトップリーグであるセリエA・アンコーナに移籍しました。

これで彼女は日本人女子で初のプロ選手となり、同時に海外移籍1号の選手となりました。日本人選手の海外挑戦への道しるべを残したと言えますね。

日立との確執については、「世界へ飛び出せたきっかけを与えてもらったので、100%の感謝しています」と後に語っています。

モトコスペシャル

高校2年生で代表に初選出された彼女は、その後選手を引退するまでオリンピック3回、世界選手権2回、ワールドカップ4回出場と日本のエースアタッカーとして活躍しました。

そんな彼女の武器は、コートの右端から左端まで走り抜けて打つアタックです。

これは「モトコスペシャル」と呼ばれ、日本代表の大きな武器となり世界中の選手たちから恐れられました。

また、サーブレシーブが得意な彼女は守備の面でも全日本の中心選手でしたよ。

面白いエピソード

ここからは大林素子の面白いエピソードを紹介します。

バレーを始めた理由が衝撃的ですよ。

デカバヤシ

大林素子がバレーボールを始めたのは中学生になってからのことでした。

そのきっかけは、なんと“イジメ”だったのです。

幼稚園に通う頃からすでに周りの子たちよりも頭一つ分大きかった彼女は、常に身長のことでからかわれていたのです。

アイドル歌手になることを夢見ていた彼女でしたが、小学6年生で身長170cmと女のことにしてはかなり大きく、「デカバヤシ」などと馬鹿にされ、時には自殺をも考えていたそうですよ。

そんな彼女をバレーボールの道に進ませたのが、女子バレーを題材にした漫画「アタックNo.1」でした。

「これだ!」と覚悟を決めた彼女は、中学入学と同時にバレーを始め数年後日本を背負って戦うトップアスリートとなるのでした。

中田久美との出会い

大林は高校3年生で初選出された日本代表ではもちろん、高校卒業後に入団した社会人チーム『日立』でも10年以上、名セッター「中田久美」とコンビを組んでいます。

2人が初めて同じチームのメンバーとなったのは、大林が高校3年生の1985年ワールドカップでした。

しかし、実はこの4年も前にこの2人は出会っていたんです。

それは、大林がまだ14歳の頃。実家が日立の練習場付近だったこともあり、当時の監督だった山田重雄にファンレターを出しところ、「良かったら練習を見に来てください。」と返事が来たのだそう。

それがきっかけで日立の練習場に通うようになるのですが、そこで既にチームに在籍していた「中田久美」と初対面を果たすことになるのです。

そのとき、初めて中田にトスを上げてもらった大林は「トスが速すぎてまともにスパイクが打てなかった」と語っています。

デカモニ

現役引退後は芸能の道で活躍する彼女ですが、2001年にユニットとして歌手デビューしています。

その名も「デカモニ。」。

モーニング娘の派生ユニット「ミニモニ。」のパロディで、身長175㎝以上を条件にメンバーを募集し、つんくプロデュースの元誕生したユニットです。

しかし、オーディションに合格したのが大林素子ただ1人だったため、実際にはユニットではなくソロプロジェクトになってしまいました。

まとめ

“モトコスペシャル”で海外の選手を翻弄し、高い決定力を武器に戦った彼女ですが、残念ながら主要な世界大会ではメダルを獲得できませんでした。

引退後は活躍の場を芸能へと移し、奮闘されています。

世界屈指のアタッカーとして恐れられたセンスと努力で、これからの活躍にも期待したいですね。