現代表監督「中田久美」の現役時代って?伝説の天才セッターだった?

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現女子バレー日本代表監督“中田久美”。

鬼の形相でチームの指揮を執り、強烈な怒号でチームを鼓舞する彼女の姿はとても印象的ですよね。

さて、あなたはそんな彼女の現役時代の活躍を知っていますか? 

今回は中田久美が残した偉大な功績をわかりやすく紹介します。

 

 

 

プロフィール

基本情報

本名:中田久美(なかだ くみ)

生年月日:1965年9月3日(53歳)

出身地:東京都練馬区

身長:176cm

体重:62kg

選手情報

ポジション:セッター

利き手:両利き

日本代表での獲得メダル

・アジア選手権(1983年)金メダル

・オリンピック(1984年)銅メダル

中田久美が残した記録、功績

中田久美が残した偉大な功績を紹介します。

日本代表チームの中心として活躍した彼女はまさに天才中の天才でした。

15歳で日本代表!?

中田久美の日本代表初選出はなんと15歳、中学3年生のときでした。

しかも、彼女がバレーボールを始めたのは中1からだったというからもう驚くしかありません。

まさに天才の中の天才でしょう。

中学卒業後は社会人チーム「日立ベルフィーユ」へ入団し、直後からメキメキと頭角を現していきます。

終わってみれば、チームは日本リーグ史上初の全勝優勝を成し遂げ、彼女自身も新人王を獲得したことからその優勝に大きく貢献したことは言うまでもありません。

ちなみに、社会人リーグでは引退するまでに4度のMVPを受賞しており、これは歴代最多の記録となっています。

ロサンゼルス五輪銅メダル

1983年からは、18歳という若さで日本代表不動のスタメンセッターの座を獲得します。

そして、同年(1983年)のアジア選手権では、当時無敵とまで言われた世界一の中国を退け優勝を果たしました。

さらにその勢いのまま、1984年のロサンゼルスオリンピックでも銅メダルを獲得しています。

日本女子バレーは、その後2012年ロンドンオリンピックまで28年間メダルを手にすることはできませんでした。

面白いエピソード

ここからは中田久美の面白いエピソードや名言を紹介します。

鬼と恐れられる彼女がよくわかる話と意外な人物との接点に注目です。

テメェらこの野郎!

“怖い”というイメージが強い中田久美ですが、彼女は本当に恐ろしいんですよ。

2004年、女子バレー日本代表がアテネオリンピック出場権を獲得し「すぽると」というスポーツ番組に生放送で出演しました。

前回大会で本戦出場を逃したこともあったのでしょうが、選手達はたしかにキャッキャとはしゃぎ浮かれた様子でした。

しかし、そこで遂に同席していた中田監督の堪忍袋の緒が切れたのです。

映像がスタジオからVTRに変わった次の瞬間、「テメェらこの野郎!」という怒鳴り声が響き渡ったのです。

彼女のピンマイクがONの状態だったので、その怒号はVTR中に全国のお茶の間に放送されました。

次に映像がスタジオに戻ったとき、選手達に笑顔はありませんでした。

ペン折り事件

日本代表の試合では、解説を務める機械が多かった彼女は試合に熱が入るあまり、一試合でボールペンを3本へし折ったことがあるそうです。

監督としての試合中の様子を見てもわかりますが、常に全力で精一杯バレーに取り組んでいますよね。

彼女はペン折り事件について「自分も試合に出ているつもりで観ていた」と後に語っています。

尾崎豊との接点

中田久美は地元の練馬区立東中学校に通っていましたが、そのときの同級生にあの「尾崎豊」がいたんです。

彼女は当時の思い出を自伝でこのように語っています。

・休み時間によくギターを弾きながら歌っていた

・かっこよくて優しくて歌が上手で凄くモテていた

現代でも色褪せない数々の名曲を残した、あの伝説の尾崎豊と青春時代を共に過ごしていたなんて凄い接点ですね。

まとめ

現役時代の数々の功績に加え、社会人チームで培った指導力を目一杯発揮して現在全日本の監督を務めています。

かつて「東洋の魔女」と恐れられ、日本のお家芸とまで言われたバレーボールですが世界大会での金メダルは長らく手にしていません。

是非とも彼女の手腕で、2020年東京オリンピックで悲願の金メダルを手にして欲しいですね。

これからも「中田ジャパン」の動向から目が離せません。