伊達公子の偉大な功績とは?二度の引退と獲得賞金について解説

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今回は日本女子テニス界のレジェンド“伊達公子”について紹介します。

数々の記録を達成した彼女の凄さとはどんなものだったのでしょうか、5分でわかりやすく紹介しますよ。

 

 

プロフィール

基本情報

名前:伊達公子(だて きみこ)

生年月日:1970年9月28日(47歳)

出身地:京都府京都市

身長:163cm

体重:53kg

利き手:右

グランドスラム最高成績〈ダブルス〉

全豪オープン:ベスト4

全仏オープン:ベスト4

全英オープン:ベスト4

全米オープン:ベスト8

グランドスラム最高成績〈ダブルス〉

全豪オープン:ベスト8

全仏オープン:2回戦

全英オープン:3回戦

全米オープン:ベスト4

 

グランドスラムとは、全豪オープン・全仏オープン・全英オープン(ウィンブルドン)・全米オープンというテニス界の世界4大大会のことです。また、1人の選手がその年の4大大会を全て制覇することもグランドスラムと呼びます。

 

伊達公子の記録、成績

彼女がレジェンドと呼ばれる理由には、グランドスラムでの輝かしい功績が強く影響しているでしょう。一度引退しコートを離れ、10年以上経って復活した姿はファンに強烈な印象を残しましたよ。

グランデスラムでの快挙

アジア出身の女子テニス選手として、史上初めてシングルスで世界ランクトップ10入り、日本人21年ぶりのグランドスラムシングルスベスト4、日本人女子初の全仏オープンシングルスベスト4・ウィンブルドンシングルスベスト4進出者。現在日本人女子最後の4大大会シングルスベスト4進出者という日本女子テニス界のレジェンドですよ。

女子テニスといえばダブルスの世界ランキング1位も記録した杉山愛も有名です。「シングルスの伊達」、「ダブルスの杉山」として日本女子テニス界を牽引してきました。 

引退からの復活劇

当時の世界ランキング8位と世界のトップ選手として活躍していた彼女は25歳という若さで突如引退を表明し世界を驚かせました。

しかし、その12年後現役復帰を決意し再びコートに立つことを表明したのです。37歳の12年越しの現役復帰にまたも世界は驚かされたのです。「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」、若手選手が伸び悩んでいた日本女子テニス界を盛り上げることを、自分への使命と感じていたのです。

復帰した年のカンガルー国際女子オープンでシングルス準優勝、奈良クルミと組んだダブルスでは優勝を飾るなど、12年のブランクを全く感じさせない姿にファンは度肝を抜かれました。

翌年の2009年には、13年ぶりとなるWTAツアー優勝を果たし女子テニス界のレジェンドとして日本を引っ張っていましたよ。

そして、47歳となった2017年に今度こそ本当に、長かった競技生活へピリオドを打ちました。

ライジングショットの名手

体格や身体能力では海外の選手より確実に劣っている伊達公子が、ここまでの成績を残してこれたのは、彼女が磨き上げた必殺のショットのおかげでした。その必殺ショットの名前は『ライジングショット』と言います。

これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術で、相手に次の球への準備をさせないことが狙いです。

タイミングをずらされた相手はミスショットが多くなり、また、ライジングショットは相手の球の威力を利用するカウンターショットにもなり、屈強な外国人選手を苦しめました。

面白いエピソード

ここからは伊達公子に関する面白いエピソードを紹介していきますよ。

彼女はかなりの自由人であり、それゆえの伝説も残しています。

伊達公子の生涯獲得賞金

グランドスラムといえば、2億円~4億円という破格の優勝賞金で有名ですが、全豪、全仏、全英で最高ベスト4を残し、全米でベスト8という記録を残した彼女の獲得賞金額も気になるところです。

グランドスラムの賞金はベスト4でも5000万円前後となっており、彼女の生涯獲得賞金は4億円にもなるそうです。

すごすぎる・・・。

相手の応援団にボール打ち込む

1992年ウィンブルドンで敗戦した彼女は、なんと相手の応援団にボールを打ち込むという事件を起こしました。その理由は、「自分のミスに大喜びする応援団にむかついた」というもの。なんとも自由というか素直というか、これが伊達公子という人間なんです。

「アジア大会に出ない」発言

1994年、アジア大会を巡って日本テニス協会と揉めに揉めています。そして、彼女は「私はアジア大会に出ない」と発言し、大騒動となりました。結局は、アジア大会への出場が決まりましたが、「私は協会を許したわけではない。自分のために出るから団体戦も出ないし、日本代表としての団体行動も一切しない」とここでも自由人全開です。

その大会の決勝戦は日本人同士の対決となりましたが、伊達は普段通りのウェアを着用し、あいての沢松奈生子はジャパンのウェアを着用しているという状況に。この時のことを彼女は「さすがにあのときは負けたら辞めるしかないと思った」と語っています。

このようなテニス協会との確執が彼女の1回目の引退の理由の一つになっていたんですよ。

まとめ

一度目の引退後、12年後に現役復帰し最前線で活躍するという経歴はまさにレジェンドです。彼女を最後に日本人女子シングルスのグランドスラムでのベスト4は途絶えています。

彼女の記録を塗り替える若手選手の台頭に期待したいですね。