釜本邦茂の凄さとは?現役時代の記録と伝説を紹介!名言や実力は?

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“日本サッカー史上最高のストライカー”との呼び声高い“釜本邦茂”を知っていますか?彼の現役時代は34年も前の話ですが、今も伝説として語り継がれています。

彼の成績や記録を5分でわかりやすく解説します!

 

 

プロフィール

基本情報

名前:釜本邦茂(かまもと くにしげ)

生年月日:1944年4月15日(74歳)

出身:京都府京都市

身長:179cm

体重:79kg

選手情報

ポジション:フォワード

利き足:右

在籍チーム:ヤンマーディーゼル(1967-1984)

釜本邦茂の記録、功績

釜本邦茂の残した偉大な記録や功績を紹介しますよ。日本のサッカー史に残る偉大な記録を残していますよ!

オリンピック銅メダル獲得

1986年に行われたメキシコオリンピックで7得点を挙げ、得点王に輝き日本代表の銅メダル獲得という快挙に大きく貢献しました。後にも先にも日本男子サッカーがメダルを獲得したのは、このメキシコオリンピックだけですよ。

また、日本代表として挙げた得点は75と歴代1位の記録となっています。

リーグ歴代最高得点保持者

Jリーグの前身である『日本サッカーリーグ』では251試合に出場し、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と凄まじい記録を残しています。

当時は、オフサイドというルールがなく今よりも点数が入りやすいサッカーでしたが、それでも251試合で201得点は驚異的な得点率ですよ。

面白いエピソード、名言

ここからは釜本邦茂にまつわる面白いエピソードや名言を紹介していきますよ。

彼の本当の実力とはどんなものだったのか?

幻の海外移籍

メキシコ五輪の大会合宿中にファンのサインに応えていた釜本に対し、あるサッカークラブのスカウトが色紙と見せかけて契約書にサインさせようとしてきたのです。間一髪のところで気付いたコーチがそれを阻止しましたが、もしかしたら海外移籍となっていた可能性もあるかもしれませんね。

これと同じようなエピソードを伝説の元プロ野球選手“沢村栄治”も体験していますよ。

2人のゴールキーパーを潰した

1967年に和歌山で開催された日本サッカーリーグ、日立本社(現柏レイソル)戦で2人のゴールキーパーを負傷退場させる記録を残していますよ。

1人目のゴールキーパーは釜本と衝突して負傷退場、2人目のゴールキーパーは交代からわずか7分後に、釜本の強烈なシュートで右の手の平を負傷し退場しました。3人目のゴールキーパーは反則を取られ、フリーキックから釜本にヘディングゴールを決められましたよ。

試合も0-3で日立が完敗するという散々な結果になりました。

釜本邦茂は本当に凄いのか

釜本邦茂が活躍していたのは今から何十年も前の話であり、彼は「本当に凄い選手だったのか?」という議論が度々持ち上がります。

・メキシコオリンピックはアマチュア選手しか参加資格がなく、海外チームは自国でプロになれなかった選手の寄せ集めで、レベルがかなり低かった。

・ブラジル2部を解雇された選手が、日本のチームに移籍して来てすぐ、シーズン通して釜本よりも優秀な成績を残した。

主にこういった理由から、釜本邦茂は全然凄くないという意見もありますが、当時と今を比較しても結局答えはでません。

日本サッカーでズバ抜けての優秀な選手だったことは間違いなく、当時の日本人に夢を与え空前のサッカーブームを巻き起こした原動力となりましたよ。

 ストライカーとは

「ストライカーは撃ち続けることですよ。失敗を気にしていたら商売にならない。撃ったシュートすべてが決まっていたら、1万点決めているだろう。」

シュートを決めるには、とにかく正確なシュートを蹴り続けるしかない。そのために繰り返し繰り返し、何度も何度も練習を重ねるという釜本流の理論が、日本サッカー史上最高とまで言われるストライカーを生んだのです。

まとめ

現在は日本サッカー協会で顧問の顧問を務めています。これからも様々な方面から日本サッカー界に携わっていくことでしょう。

これからもその動向に注目です。