伝説の女子柔道家『谷亮子』現役時代の功績と現在!名言や身長は?

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日本女子柔道界最強の選手といえば“ヤワラちゃん”こと“谷亮子”でしょう。

今は政治家として活躍していますが、現役当時はもの凄い柔道家でした。オリンピックでの素晴らしい成績とその功績を紹介します。

 

 

プロフィール

基本情報

名前:谷亮子(たに りょうこ)

旧姓:田村

ニックネーム:ヤワラちゃん

生年月日:1975年9月6日(42歳)

出身地:福岡県福岡市

身長:146cm

選手情報

階級:48kg級

段位:6段

得意技:背負い投げ

獲得メダル

オリンピック:金×2、銀×2、銅×1

世界柔道選手権:金×7、銅×1

アジア大会:金×1

アジア柔道選手権:銅×1

 

現役時代の2003年にプロ野球選手だった谷佳知(たに よしとも)と結婚し、現在子供が二人います。現在は「生活の党と山本太郎となかまたち」に所属し、政治家として活動しています。

谷亮子の記録、成績

谷亮子はいったいどんな記録や功績を残したのでしょうか。

その圧倒的な強さで掴んだ数々の栄光を紹介します。

オリンピックでの輝かしい功績

谷亮子を語る上でかかせないのは、やはりオリンピックでしょう。16歳11ヶ月、高校2年生で初出場したバルセロナ五輪(1992)で見事に銀メダルを獲得し、史上最年少記録という衝撃のオリンピックデビューを果たしましたよ。

つづくアトランタ五輪(1996)でも銀メダルを獲得しますが、金メダル獲得を周りも彼女自身も信じて臨んだ大会だっただけに、この敗戦は彼女のメンタルに大きなダメージを与えてしまいます。一度は引退も考えた彼女でしたが、「金メダルを取るまで私はあきらめない。自分が完璧になったとき、最高の喜びが待っていると思います」と奮起し見事4年後のシドニー五輪(2000)で悲願の金メダルを獲得しました。

そして、当時オリックスに所属していたプロ野球選手谷佳知さんと結婚後、初めて『谷亮子』として挑んだアテネ五輪(2004)では、初戦から準決勝までオール一本勝ち、決勝でも相手に全くポイントを与えない完璧な試合でオリンピック2連覇という快挙を達成しました。

オリンピック夏季大会5大会連続出場という、当時の日本選手の最多連続記録を更新して臨んだ北京五輪(2008)でしたが、惜しくも銅メダルに留まります。しかし、オリンピック5大会連続メダル獲得という偉業を達成しました。

オリンピックだけじゃない

谷亮子の成績はオリンピックだけではありません。大きな国際大会のほとんどで優勝を果たしています。2年に1度開かれる世界選手権では6連覇を含む7度の優勝(1993~2003、2007)を手にしています。2005年大会は長男の出産で不参加となっており、タイミングが合っていれば8連覇も夢ではありませんでした。

他福岡国際大会では11連覇(1990~2000年)、全日本柔道重量別大会でも11連覇(1991~2001年)を達成しています。

面白いエピソード、名言

ここからは谷亮子にまつわる面白いエピソードや名言を紹介していきますよ。

オリンピックの名場面に残るあの名言やニックネームの由来に触れています。

幼少期からめちゃくちゃ強い

谷が柔道を始めたのは小学2年生のときでした。入門から数ヵ月後には男の子を豪快に投げ飛ばし、4年生で九州大会優勝、5年生で全国大会3位入賞、6年生で全国大会優勝とその才能を発揮します。

中学2年生で大人も出場する全日本選抜柔道体重別選手権大会の九州予選に出場し準決勝まで進出するなどもはや同年代には無敵の状態でしたよ。2年生及び3年生のときに全日本のチームに招聘され国際試合を経験し、その後初の国際大会となる福岡国際であっさり優勝してしまいます。

高校以降の国内大会では、2001年に全日本選抜柔道体重別選手権大会で敗退するまで12年間無敗、121連勝という記録を残しました。

『ヤワラちゃん』の由来

谷が中高と大躍進を続けていた当時、「YAWARA!」という漫画が連載されており、その頃から谷亮子が注目を浴び始めたので、その漫画の主人公の名前を取って『ヤワラちゃん』というニックネームが定着しましたよ。

オリンピックでの名言

バルセロナ、アトランタと銀メダルに終わりシドニー五輪を目指して過酷な練習を積んできた彼女は自信とエネルギーに満ち溢れていました。「最高でも金(メダル)、最低でも金(メダル)」という言葉と共に大会に臨み、見事その言葉通り金メダルを獲得しています。

つづくアテネ五輪までの間に結婚という人生の節目を迎えた彼女でしたが、それでも彼女は心身ともに充実していました。2大会連続の金メダルを獲得し「田村でも金、谷でも金」という名言が生まれました。

この2つは今でも日本オリンピック史に残る名言となっていますよ。

まとめ

圧倒的な成績は柔道人気を支え女子柔道界及び日本柔道の普及に大きく貢献しました。たくさんの夢と希望を私たちに与えてくれた『ヤワラちゃん』は現在政治家として戦っています。これからもそんな『ヤワラちゃん』から目が離せませんね。