星野仙一の現役時代って?巨人とは不仲?死因はがん?妻や子供は?  

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今回は“燃える闘将”として有名な“星野仙一”について紹介します。

 

現役時代は中日のエースとして活躍し、監督時代は優勝請負人として3球団ものチームを優勝に導いた凄い人ですよ。

プロフィール

基本情報

名前:星野仙一(ほしの せんいち)

生年月日:1947年1月22日(享年70歳)

出身地:岡山県倉敷市

身長:180cm

体重:80kg

選手情報

ポジション:投手

最高年俸(選手時):2200万円

最高年俸(監督時):2億円

経歴(括弧内はチーム在籍年度)

岡山県立倉敷商業高等学校

明治大学

中日ドラゴンズ (1969-1982)

 

2018年にすい臓がんでお亡くなりになりました。奥さんも白血病ですでにお亡くなりになっています。

子供は娘さんが二人いますよ。

 

星野仙一が残した記録、功績

現役時代ももちろん素晴らしい選手でしたが、監督としては超一流の結果を残しています。

それでは、その両方の成績をみていきましょう。

巨人キラーと呼ばれた現役時代

まず最初に、星野は自らを『一流半の投手』と表現しています。それは、歴史に残る大投手は大半が“通算200勝”を挙げているからです。しかし、14年間という短い選手人生で彼が残した“146勝”も十分素晴らしい成績ですよ。

 

『肩と肘のケガがなければ200勝を達成していた』という意見も少なくありません。

 

さて、話は変わって現役時代の星野は“巨人キラー”と呼ばれていたんですよ。

その頃の巨人と言えば『王貞治』『長嶋茂雄』をはじめとするスーパースターが多く在籍しており、“V9時代”と言って9年連続の日本一を決める等めちゃくちゃに強かったのです。

 

 

 

その時代の巨人に対して、通算『35勝31敗』と勝ち越しており、その勝率は歴代1位となっています。

 

また、1971年には巨人のV10を阻む活躍をみせ、先発完投型の投手に贈られる“沢村賞”と抑えの投手に贈られる“最多セーブ”を同時受賞しています。

先発投手としてマウンドに立ち、時には抑えとしてマウンドに立つという今では考えられない活躍でしたよ。

 

 

三球団でリーグ優勝

星野仙一は中日、阪神、楽天で17年間監督を務め、その三球団全てでリーグ優勝を達成している“名将”なんですよ。

 

三球団でのリーグ制覇は、プロ野球史上たったの3人しか成し遂げていない偉業です。

 

また、北京オリンピックでは日本代表の監督として世界の舞台でも戦いましたが、結果はまさかのメダル圏外の4位に終わっています。

 

面白いエピソード、名言

ここからは星野仙一の面白いエピソードや名言を紹介します。

彼の人間性や監督としてのスタイルもわかりますよ!

めちゃめちゃ怖い

監督時代は選手たちからかなり怖れられていました。それは、“鉄拳制裁”と称して選手を殴るなど暴力を用いた指導をしていたからです。

 

試合中もベンチで声を荒げたり、椅子を蹴飛ばしたりとめちゃくちゃ怖い監督でした。

 

打倒巨人

現役時代は“巨人キラー”として活躍していた星野仙一。彼は「巨人だけには絶対に負けない」と巨人戦では200%の力を発揮していました。

 

なぜ、星野が巨人をそんなに目の敵にしていたかというと“ドラフトで巨人に裏切られたから”なのです。

 

星野はプロ入り前に巨人から「田淵幸一を1位指名できなかったら外れ1位として指名する」と言われていました。そして、実際のドラフトで巨人は「田淵幸一」を1位指名出来なかったのです。

 

それならば、巨人はもちろん星野を指名すると思いきや、なんと『島野修』という投手を1位指名してしまったのです。

 

星野は「ホシとシマの間違いじゃないか」とブチ切れ、この頃から“打倒巨人”に燃えていたんですよ。

 

名将の名言

「ワシはな、何と言うか完成されたチームを任されるのはいやなんや。中日時代もそうやった。戦力を整備して、チームを立て直す。これに快感を覚えるんや」

 

中日、阪神、楽天といずれもチームの成績が良くない、弱い時期に監督を任され、全てのチームをリーグ優勝に導きましたよ。

 

まとめ

現役時代は中日のエースとして、監督時代は3球団を優勝に導く偉大な野球人でした。

 

彼の姿をもう見ることはできませんが、彼が残した偉大な功績はいつまでも語り継がれることでしょう。