ガッツ石松の戦績と伝説!現在や名言も紹介!陣内智則にマジ切れ?  

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おバカキャラでお茶の間を賑わす“ガッツ石松”が、元ボクシングの世界チャンピオンだったことは知っている人も多いでしょう。

今回は、具体的にどんなチャンピオンだったのか、伝説や名言を交えて分かりやすく紹介しますよ!

 

 

プロフィール

基本情報

本名:鈴木有二(すずき ゆうじ)

生年月日:1949年6月5日(69歳)

出身地:栃木県鹿沼市

身長:172cm

選手情報

スタイル:オーソドックス

階級:ライト級

プロでの戦績

総試合数:51

勝ち:31

負け:14

KO勝ち:17

引き分け:6

 

歴代ボクシング世界チャンピオンの中で、誰よりも敗北が多い選手なんですよ。

引退後は俳優や最近はメディアでの露出は少なくなりましたが、おバカタレントとして活躍しています。

ガッツ石松が残した記録、功績

いよいよガッツ石松がどんな記録を残したのか見ていきますよ。アジア人初となる快挙を達成しています。

そして、“幻の右”とはなんでしょう!?

世界王座5連続防衛

勝ち負けを繰り返し、1974年にWBC世界ライト級チャンピオンになりました。これは、アジア人としてガッツ石松が初めてという快挙でしたよ。

当時のライト級は、各国の強者がひしめく非常に層の厚い階級でした。その中で世界の強豪達を抑えタイトルを5度防衛しましたよ。

防衛中は、格上とも言われる相手に勝利するなど一戦一戦を終えるたび、ガッツの評価は高まっていきました。

また、タイトル奪取時の試合で相手のダウンを奪った「ワンツーパンチ」は、左ジャブから右ストレートを繰り出すまでの間隔が短く、相手には右腕の動きが見切れないことから“幻の右”と言われました。

面白いエピソード、名言

天然ぶりで有名なガッツ石松には、数え切れないほどのエピソードや名言があります。

普段は温厚な彼ですが、格闘家としての一面を覗かせる伝説も紹介していますよ。

伝説のストリートファイト

東洋太平洋ライト級王者時代、池袋の路上で弟に絡んだヤクザと喧嘩をしてしまいます。しかし、相手は8人。ガッツは機転を利かせ、相手を路地裏に誘い込み『1対1』の状況を作り出し、一人で8人全員をKOしましたよ。

すぐに“正当防衛”が認められ釈放されましたが、その時の事情聴取で「チャンピオンは“いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状に書いてある」と供述したことから、これ以降チャンピオンに渡される賞状からその文言が削除されているそうですよ。

リングネームの由来

元々ガッツ石松は『鈴木石松』というリングネームで戦っていました。

“石松”は江戸時代に侠客として活躍した『森の石松』という人物から取っています。

この『森の石松』はかなりのおっちょこちょいだったそうで、非常に似ていることから『鈴木石松』というリングネームになったのです。

世界王者になるまでのガッツは、勝てる試合なのに少しでも形勢が悪くなるとすぐに諦めてしまったり、練習をさぼったりするような選手でした。

そこで、ジムが「もっとガッツのある選手になってくれるように・・・」という願いを込めて『ガッツ石松』というリングネーム改名しました。

陣内に顔面パンチ

十数年前、芸人の陣内智則とテレビで共演したときのことです。まだ、陣内は今ほどテレビ出演することが多くなかったたため、なんとか爪痕を残そうと、番組冒頭でガッツの頭を叩きながらツッコミを入れたのです。

すると、この一撃にガッツが激怒します。

ガッツは反射的に陣内の顔面に右パンチを叩き込み、収録をボイコットし一時現場は騒然としました。

その後、陣内がガッツに謝罪して無事和解に至ったそうですよ。

ガッツポーズ

1974年のタイトル奪取時の試合で、KO勝利を決めた際にガッツ石松が両手の拳を突き上げた姿を、記者が“ガッツポーズ”と名付けたそうですよ。

喜びを表現するこのポーズ自体は昔からありましたが、“ガッツポーズ”と命名され広く知られたのはこの時からだったそうです。

解説中の名言

世界タイトルマッチの解説で、挑戦者の気持ちを尋ねられたときに「いやぁ。恐いのが半分、恐ろしいのが半分でしょうね」と答えました。同じですね!

ガッツ石松の名言はキリがない程あるので、個人的に好きな一つを紹介させて頂きました!

まとめ

歴代の世界チャンピオンと比べてもガッツの勝率はかなり低いです。しかし、不屈の闘志で世界チャンピオンまで登りつめ、5度の防衛を果たしたのはとても偉大なことです。

さらに、めちゃくちゃ笑える名言を山程残しているので、気になった人は調べてみてくださいね。