衣笠祥雄の記録と成績!最高年俸がすごい!病気はがん?名言も紹介!  

f:id:otokonobiyo:20180430094657j:plain

今回は“鉄人”こと『衣笠祥雄』について紹介します。

山本浩二らと共に“赤ヘル旋風”を巻き起こし、球団初のリーグ優勝に貢献するなどカープ黄金時代の立役者ですよ!

 

 

 

プロフィール

基本情報

名前:衣笠祥雄(きぬがさ さちお)

生年月日:1947年1月18日(享年71歳)

出身地:京都府京都市

身長:175cm

体重:73kg

選手情報

背番号:3(永久欠番)

ポジション:三塁手、一塁手

打席:右投右打

最高年俸:6800万円

経歴(括弧内はチーム在籍年度)

・平安高等学校

・広島東洋カープ(1965~1987)

 

引退後は野球解説者や野球評論家、タレントなどで活躍されていましたよ。

2018年、上行結腸がんのため71歳の若さで安らかに永眠されました。

 

衣笠祥雄が残した記録、功績

鉄人の残した偉業とはどんなものだったのでしょうか?

連続出場以外の素晴らしい成績の数々を紹介します!

2215試合連続出場

衣笠といえば、やはり“連続出場記録”でしょう。1970年から17年間に渡り、毎日試合に出場し2215試合連続で出場しました。強靭な体と精神力の賜物が生んだ大記録です。

 

この記録は当時世界1位の記録(現在は世界2位)であり、日本では現在でも歴代1位の記録となっています。

この記録を讃えて、1987年に王貞治に次ぐプロ野球史上で2人目となる“国民栄誉賞”を受賞しましたよ。

 

連続出場記録だけじゃない!

衣笠と言えば“連続出場記録”ばかりが注目されがちですが、その他にもとんでもない記録を残していますよ。

 

通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位、通算打点歴代10位、また盗塁王やゴールデングラブ賞を獲得するなど『走・攻・守』揃ったオールラウンダーでした。

 

面白いエピソード、名言

ここからは衣笠祥雄に関する面白いエピソードや名言を紹介していきます。

愛称“鉄人”の由来や彼の人柄がよくわかりますよ!

骨折しても試合出場!?

ある日試合中に、巨人の西本選手からデッドボールを受けて左の肩甲骨を亀裂骨折してしまうことがありました。

 

しかし、なんと翌日の試合で代打として打席に立ち、江川卓の投球にフルスイング三球三振で答えました。

 

試合後には「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」という名言を残しましたよ。デッドボールを与えた西本選手を気遣うような器の大きい人でしたよ。

 

愛称“鉄人”の由来

衣笠は入団時から9年間は背番号『28』をつけていたんです。

体の丈夫さはもちろんですが、有名な漫画「鉄人28号」にちなんで“鉄人”という愛称で親しまれました。

 

大の肉好き!!

衣笠は極度の偏食家だったことでも有名です。魚や野菜が嫌いで、肉以外はほとんど口にしなかったそうですよ。

 

同じく野球選手の下柳との食事の席では、「野菜を食べないで大丈夫なんですか?」と心配する言葉に対し、「野菜は牛が食うとる」と返したそうですよ。

なんとも豪快な男ですね。

 

自動車免許剥奪!?

彼は入団時の契約金で夢だった大きなアメ車を購入しています。

当時は監督やコーチ、主力選手が乗っていたのは大半がマツダ車だったそうです。中には自転車通勤の人も珍しくなかったとか。

 

そんな状況を横目に気ままにアメ車を乗り回していましたが、何度となく事故を起こし、最終的には免許を剥奪されてしまったんですよ。

 

大記録を達成した人にだけわかる

連続試合出場の世界記録を更新した時、「いつか、誰かにこの記録を破ってほしい。この記録の偉大さが本当にわかるのは、その人だけだろうから」という名言を残しました。

 

衣笠の記録はアメリカでも非常に高く評価されており、現在でも「キヌガサ」はアメリカで最も名前の知られている日本人野球選手の一人なんですよ。

 

まとめ

ガンで亡くなる5日前に解説の仕事をしており、最後の最後まで“鉄人”っぷりを貫きました。その人柄の良さから野球関係者はもちろん、ファンから愛された名選手でした。

 

これからも、日本が世界に誇る“鉄人”の大記録はいつまでも色褪せることなく語り継がれることでしょう。