中田英寿(ヒデ)の凄さって?現在は何してる?ファッションが凄い?

f:id:otokonobiyo:20180407103749j:plain

 

今回は、長年日本サッカー界をけん引してきた“レジェンド”『中田英寿』について紹介しますよ。

既に引退から10年以上経っており、現役時代の彼を知らない人も多いのではないでしょうか。

日本人ならば知っておくべき彼の素晴らしい功績を紹介しますよ。

 

 

 

プロフィール

基本情報

名前:中田英寿(ナカタヒデトシ)

生年月日:1977年1月22日(41歳)

出身:山梨県甲府市(こうふし)

身長:175cm

体重:72kg

選手情報

ポジション:MF

利き足:右

最高年俸:4億円

 

29歳の若さで引退しており、現在は会社の役員をしたりサッカー教室を開いたりとサッカー界を盛り上げる活動も行なっています。

中田英寿の記録、功績

世界が認める日本のスター選手ですが、いったいどのような功績を残したのでしょうか。

それでは紹介していきますよ!

ワールドカップ3大会連続出場

1994年アメリカW杯予選、掴みかけた切符を失った悪夢“ドーハの悲劇”から4年が経った1998年のフランスW杯予選に中田英寿の姿がありました。

全国民が見守ったイラン戦は、一進一退の攻防が続き延長戦にまでもつれましたが、中田はその日全てのゴールの決定機を作る大活躍で、日本のW杯本戦初出場に貢献しました。

日本がW杯予選に参加し、43年目にして悲願の初出場を決めたこの試合は“ジョホールバルの歓喜”として語り継がれています。

そして、中田はこのフランスW杯から3大会連続で本戦出場を果たし、日本のサッカー界を牽引して行くことになるのでした。

海外クラブでの成功

フランスW杯の活躍で一気に世界中へと名を轟かせた中田は、強豪リーグセリエAの「ペルージャ」というチームに移籍することになります。当時のセリエAは世界中のスター選手が集結しており中田はその中でしのぎを削ることとなったのです。

そして、「ペルージャ」での活躍が認められた中田は、強豪チーム「ローマ」へ移籍することとなります。

優勝争いの大一番で、当時世界最高のプレーヤーと言われた『トッティ』に代わり、優勝を決定付ける活躍をした「ユベントス」戦は今も伝説として語り継がれています。そして、日本人で初めてセリエA優勝メンバーとなったのです。

エピソード、名言

ここからは中田英寿に関するエピソードを紹介していきますよ。

ファッションや名言にも触れています!

なぜ活躍できたのか?

中田はセンスや身体能力が高い“天才型”ではなかったというのは有名な話です。しかし、トレーニングで欠点を補い驚異的なフィジカルを手に入れ、世界のライバル達に恐れられるまでになりました。

・欠点の少ない選手である

・状況判断能力に優れている

・驚異的なフィジカルと持久力だ

・日本のサッカー界が生み出した、真の一流選手である

世界のサッカー関係者も上のように絶賛しており、中田がここに至るまでに並々ならぬ努力をしたことは容易に想像できますね。

衝撃の名言

「僕はカズのようにはなりたくありません。僕はスターになりたいんです。」

これは、インタビューで『三浦和良のようにヨーロッパでプレーしてみたいか』と質問されたときの返答です。

当時19歳の中田がこの発言をできたのは、高い目標を持ち、絶対にそこに辿り着くという強い意思があったからではないでしょうか。

そしてその言葉通り、W杯に3度出場し海外の強豪リーグへ移籍を成功させ、若者が憧れるファッションリーダーとなり、誰もが認めるスターとなったのです。

 

世界が注目するファッションリーダー

中田はサッカーそれだけではなく、ファッションセンスも海外から注目される程にハイレベルなんですよ。

当時は“海外組”が少なく、また中田のファッションセンスの高さから、帰国時の成田空港でのファッションが注目されました。

これは、『成田コレクション』という言葉ができる程盛り上がり、「サッカー選手=オシャレ」というイメージもこの頃に定着しました。

まとめ

今でこそ多くの日本人が海外リーグで活躍していますが、それは中田が先駆者として道を作ったからでしょう。日本人選手を認めさせるきっかけとなったのです。

また、日本のW杯出場にも大きく貢献しており、日本サッカー界の時代を作った偉大な選手といえますね。