尾崎将司(ジャンボ尾崎)を5分で知る!彼が残した最多記録とは?

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今回は“ジャンボ尾崎”こと『尾崎将司』について紹介します。

当時、国内で無敵を誇った彼はどんな選手だったのか。青木功との因縁についても紹介していますよ。

 

 

 

プロフィール

基本情報

名前:尾崎将司(おざきまさし)

ニックネーム:ジャンボ尾崎

生年月日:1947年1月24日(71歳)

出身地:徳島県海部郡宍喰町(かいふぐんししくいちょう)

身長:181cm

体重:90kg

メジャー最高成績

マスターズ:8位

全米オープン:6位

全英オープン:10位

全米プロゴルフ選手権:47位

成績

優勝回数:113回

賞金王:12回

 

※メジャーとは、ゴルフにおいて最も権威のある4つのトーナメントのことであり、これらで優勝する事はゴルファーにとって最高の名誉なのです。

 

ライバルの青木功、中嶋常幸とともに日本ゴルフ界を牽引した名選手で、彼らが活躍した時代は、それぞれの頭文字を合わせ「AON時代」と呼ばれました。

 

尾崎将司が残した記録、功績

国内で無敵を誇った尾崎将司はどんな記録を残したのでしょうか。

その凄まじい記録の数々を紹介していきますよ。

賞金王12回

賞金王12回という記録は断トツで歴代1位です。

特に1980年代後半から1990年代後半にかけての賞金王は以下のようになっており、まさに国内で敵無しの状態でした。

1988.尾崎将司

1989.尾崎将司

1990.尾崎将司

1991.尾崎直道

1992.尾崎将司

1993.飯合肇

1994.尾崎将司

1995.尾崎将司

1996.尾崎将司

1997.尾崎将司

1998.尾崎将司

 

優勝回数113回

ジャンボ尾崎は国内で112勝、海外で1勝の計113勝という優勝回数を記録しています。

これは世界プロツアー最多記録となっており、その功績を讃えられ2010年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。

 

ちなみに、国内では2位が青木功、3位が中嶋常幸となっています。

ここでも『AON』の3人がTOP3を独占していることから、彼らが本当に偉大な選手であったことがわかりますね。

 

面白いエピソード

ここからは青木功に関する面白いエピソードを紹介していきます。

ジャンボ尾崎との不仲説についても紹介していますよ。

元プロ野球選手

日本を代表するゴルファーとして有名なジャンボ尾崎ですが、元プロ野球選手って知ってましたか?

 

春の甲子園優勝投手という輝かしい成績を引っさげ西鉄ライオンズ(今の西武ライオンズ)に入団した尾崎でしたが、同期の池永正明の投球を目の当たりにして「こんなに凄いやつがいるなら、オレが投手で成功するのは無理だ」と野手に転向します。

しかし、野手でも思うような結果が残せなかった尾崎は入団後僅か3年で退団を申し出ました。

 

その後、テストに合格しプロゴルファーに転向した尾崎はゴルフ界で凄まじい活躍をみせることになります。

 

ジャンボ尾崎と青木功

同世代のライバル同士として尾崎は青木功のことを意識していたことは間違いありません。

 

1990年、ジャンボが優勝した大会のゲスト解説だった青木功が、祝福の言葉を送ったのに対し、挑発とも言えるような態度で返答したのです。その態度に青木も怒り、次の大会で決着をつけよう、ということになりますが、ここでは青木が勝利します。

その後のインタビューでも、尾崎の暴言とも取れるような発言で青木との確執はさらに大きいものへとなってしまうのでした。

 

ジャンボ尾崎にまつわる黒い噂

1988年に当時人気絶頂期のジャンボ尾崎は暴力団とのパーティに出席し、会長とのツーショット写真が新聞記事になり世間をざわつかせたことからマスターズ出場を辞退しています。

 

また、生涯獲得賞金が24億円を超えるにもかかわらず、投資などで失敗し50数億円の債務を抱えてしまいます。民事再生法が適用されましたが、16億円の債務が残ってしまいました。

 

ゴルフと同じくプライベートもかなり豪快だったようですが、暴力団との交際は決して許されるものではありませんね。

良くも悪くも世間を賑わせた豪快な選手でした。

 

まとめ

マナーや私生活に問題があったとの話もあるジャンボ尾崎ですが、その豪快で華のあるプレーはゴルフファン達を魅了しました。

 

日本ゴルフ界を盛り上げ、その発展に大きく貢献した尾崎は、やはり偉大な選手だったといえるでしょう。